第7回『人間を補完・拡張するデジタル技術』

第7回:2019年12月04日更新

 

 

著:鈴木良介
(野村総合研究所ICTメディア・サービス産業コンサルティング部、上級コンサルタント)


米国ワビオ(Wavio)が提供するシーサウンドは、火災報知器の警告音、子どもの泣き声、ガラスが割れた音、水道の蛇口から水が流れ続ける音、あるいは来訪者を知らせるチャイムなど、家の中の様々な音を聴覚障害者向けに可視化する[*1]
危険や変化を音によって伝えるしくみはたくさんあるが、音を聞くことができなければそれらのしくみは機能しない。
シーサウンドはこのような課題を解決する。

利用方法は簡単で、音を収集する機械を家の中にある各所のコンセントに差し込むだけだ。
あとは、異常を示す音を検知すると「玄関で赤ちゃんが泣いているようですよ」といった通知がスマホに届く。
現在75種類の音を対象としている。
いずれもユーチューブのデータをもとにした機械学習によって自動的に判別する。
膨大なユーチューブの動画データから、数千の子どもが泣き叫ぶ動画を特定し、それらを元データとして判別機能を開発した。

シーサウンドの開発は創業者の知人のろう者が子どもが階段から落ちて泣いていることに気付かなかった、ということをきっかけに始まったという。

人工知能とは、人間が行ってきた認知・判断をソフトウェアによって代替する取り組みだ。
つまり、人間の目や耳の代替である。
このような取り組みが比較的低いコストで実現できるようになったため、ワビオが行うような認知機能の補完を簡単に行えるようになった。

このような認知機能の代替は障害者のためだけではない。
たとえば、耳が遠くなっている高齢者のために活用されることもあるだろう。
広い家に住む人ならば、耳が遠くなくても、台所でヤカンがピーピーなっていれば警告を出して欲しいと考えるはずだ。
家のどこかにいる虫の羽音を特定するような「超人」のような取り組みも可能になるかもしれない。
ワビオ自体は障害者の利用を想定した人工知能活用であるが、欠けているあるいは弱まっている認知機能を補完することと、普通の認知機能を拡張・強化することにも展開可能だろう。

ワビオの事例はデジタル技術の活用によって「認知機能」の補完を行うものだが、「身体機能」の補完を行う事例もある。
イケアによる”ThisAbles”というプロジェクトだ[*2]。
これは、3Dプリンタの活用によって自社が販売する家具をカスタマイズし、その使い勝手を良くすることを目的としている。
対象としているのは身体に障害のある人たちだ。

たとえば、手先が不自由な人はデザイン性の良い小さなボタンスイッチを押すことに難儀する。
そのような人向けに用意されているのは「メガスイッチ」だ。
本来のボタン全体を覆うように大きなボタンを用意することで、簡単にスイッチの操作をできるようになる。
また足腰が弱いと、ソファーから立ち上がることが困難になる。
ソファの座高を高めることができれば、難なく立ち上がれる。
それを助けるのが「カウチ・リフト」だ。
ソファの足に付属品をつけることで座面の高さをあげることができる。

このようなオプション器具を店頭で購入したり、3Dデータをダウンロードして入手できる。
あとは通常のイケア製品と組み合わせて利用すれば良い。
完全にテーラーメイドで棚やソファーを作ってもらおうとすれば、とても高額になってしまうが、大量生産の良さと補助具によるカスタマイズを活用している好例だ。
3Dプリンタというデジタル技術を用いて身体機能の補完を補う取り組みと言える。

これもまた障害者向けにとどまらない可能性がある。
たとえば、ルンバでリビングの掃除をする人の中には、前述の「カウチ・リフト」を用いてソファの下に一定の高さを作りたいという人もいるかも知れない。
汎用品を「もっとこうならいいのに」という自分好みの製品へとパーソナライズする際にも同じ技術を用いることができる。

認知機能あるいは身体機能の欠損を補うことは決して特殊で小さな市場ではない。
人間拡張やパーソナライズと言った広大な市場が地続きに存在している。

[*1] Wavio社SeeSoundウェブサイト、https://www.see-sound.com/(2019年11月閲覧)
[*2] Thisablesウェブサイト、https://thisables.com/en/(2019年12月)

 

※コラム記事は執筆者の個人的見解であり、オムロンヘルスケア株式会社の公式見解を示すものではありません。


著者プロフィール(鈴木良介氏)

野村総合研究所ICTメディア・サービス産業コンサルティング部、上級コンサルタント。2004年、株式会社野村総合研究所入社。近年では、ビッグデータ・IoT・人工知能などのテクノロジが事業・社会にもたらす影響の検討および新規事業立ち上げ支援を行う。科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業CRESTビッグデータ応用領域領域アドバイザー。著書に『データ活用仮説量産フレームワークDIVA』(日経BP、2015年)